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あけまして

あけましておめでとうございます。一週間程東京から鎌倉へと行ってました。

その間雑誌「沢蟹」のメンバーとどうしようかということを話し合った末、まずはモノを作れという結論に達して、サイトはまだ開設しなくてよい、別のところで、ということになりましたので、こうしてここに書くことから戻ろうと思います。なんだかここで書いたのは一回きりでしたが、まあ遅筆故ということで、それもそれでいいかな、と。

今年は忙しくなりそうですが、いろいろと書いていこうと思ってます。

http://www6.ocn.ne.jp/~fakefur
# by mishin-o | 2005-01-02 22:58

サティの背中

私の席からは彼女の背だけが覗けた。私がコーヒーを手にそのちいさな丸テエブルについたとき、彼女の後ろ姿はどこか物憂げに沈んでいて淋しそうであった。私は今朝弾いたエリックサティのピアノ曲を思い出した。休日に弾くサティの曲はどこかセンチメンタルが混じっていて、ぽかんと取り残されたような心持ちになる。彼女の背はまさにそれで、何もことばのないままに静かな退屈だけを空気に投影しているのだった。しかし私と彼女はまったくの他人である。どうすることもできない。私は鞄から辞書と本を取り出して「宙返り」という名の小説をちまちまと読みはじめた。日本語で書かれたものでないので幾度も辞書を引かねばならず、その度に私の集中の糸はぷつりと切れてしまう。そうしているうちに彼女が幾度も席を立つのが判った。立った、と思うと戻って来る。戻って来たと思うとまた立つ。どうしたのかと思いちらと見ると、この喫茶店に置いてある絵本をとって来ては速読と言ってもよいようなスピードで読んでいるのだった。しかし私には彼女の頭の中に内容などろくにはいってないであろうことはなんとなしに判っていた。いや、それだけでなく絵すらもまともに認識されていないような、そんな気配すらあった。彼女の所為はそのくらい上の空で、どこかたましいが頭の上ら辺をさまようかのようにふわふわしていて覚束ないのだった。
私は辞書を手繰る手を止めて彼女を背中越しに見た。彼女はいま、ミッフィーの本を読んでいる。とはいえ、二秒で一ページをめくる速度だ。ほとんど味わうということなく手を動かしては進めている。私は自分の目から色彩がはがれ落ちてゆくのを感じていた。彼女はすぐにミッフィーも読み終わり返しにいき、今度は「ぐりとぐら」を取って来た。
いつしか私は彼女に「休日のサティ」なんていう古めかしいあだ名をつけていた。それは先に述べたサティ特有の哀愁と孤独感がより彼女の背に色濃くなっており、思わず私にそんなばかげた名称をつぶやかせたのである。休日のサティは更にページをめくる。その速度は先ほどよりも文字数が明らかに増えた今もミッフィーのときと変わらない。私はすっかり自分のなすべきことを止めて、彼女の背ばかりを見つめてため息などをついているのだった。少し油断すると私は彼女の心の隙間について思いを馳せていた。彼女がここまで空洞になってしまったのは、からっぽになってしまったのはなぜなのだろう。考えてもヒントも何もない以上、答えのでないそれを私は万年筆をいじりながら漠然と思案しているのだった。それでも彼女の隙間を埋めたい、などということを思わなくなったのは私にとってすこしはまともになっていると言えなくもなかった。少し前の私は出来やしないくせに、そういった他人の心の問題に首を突っ込みすぎた。その結果自分の首が絞まり身動きが取れなくなり、呼吸を荒く荒くするのだ。しかしだからといって、私は単純に楽観してもいられなかった。彼女の気怠さはすでにこの都市をぐるぐると取り巻く重い空気のかたまりのようになっており、それは私にもいつしか伝染しているのだった。
そうしているうちにひとりの男が近寄って、彼女のテエブルの前に着た。彼女は立ち上がり、振り返り急にはずんだ顔になって絵本を返しにいき、それから二人は何やら喋りだした。イヤホンをしている私には話の内容も判らなかったものの、背から先ほどの沈んだ色彩はすでに消えていた。私は少しのつまならさを感じつつも、大きなテエブルが空いたのでそこへと移動した。窓際のその席から外を見ていたら急に冬を感じて、ジョンレノンが聴きたくなった。それからしばらくして彼女の方を見ると、違う客が座っており、もう彼女の姿はなかった。それでもそのとき、私は彼女の背を覚えていたはずなのだが、喫茶店を後にするときはすでにそれすらも褪せていたのだった。
# by mishin-o | 2004-12-23 14:06 | 私小説

冬、来るとき

空を見て、あ、今日は青空だと思って、風を受けて、学校をさぼり、いや、語学の試験に備えようと朝から喫茶店にこもるため銀座通りを歩いていて、急につんと体全体にワサビがしみたような気分になった。しばらくなんなのかわからないその感情が、つまりは懐かしさなのだ、と判ってきて私は去年の晩秋から冬にかけてのことを思った。私は薄手のコートに身をぎゅっと包む。心の底がきゅうと鳴った。冬が近づいているのだな、と思った。

というのは大体十月頃に書いていたノートの断片からの抜粋です。果たして十月に既にその影をちらと見せた冬というのは気が早かったのかどうなのか、その辺のところは季節に鈍感な私にはわかりません。けれどもいまこうして冬が本格的に誰の目から見てもはじまっている中で、こうしてセーターを着たりコートを着たりマフラーを巻いたりがにこにこしながら出来るようになって、私はどこか待ちわびていた感覚もあって、このまっしろになる季節を大事に行きていこうと、そしてまだ散りきっていない秋の最期をゆるゆると眺めていようと、そう思うのです。
# by mishin-o | 2004-12-18 13:50 | 私小説

いわし日和

詩人の「頭の中にいわし一匹いない」などという台詞から思考をいわし雲へと転移させてつれつれ思っていた日の午後だった。私は焦る気分とあい重なるようにして出る沈みはじめた心持ちを胸の中にしまい込んで晴海通りを歩いていた。温かな日の中にも冬はちりちりと存在していて、それがことのほか私にはうれしくて、道々目を細めていた。平日の銀座は決して会社員だけという訳じゃあない、ということに気づいたのは一体いつだっただろうか? 私はぼんやりと思考を巡らせた。勿論背広姿の会社員もいるが、どこか遠くの地方からやってきた東京巡りの観光客に、三越に吸い込まれるように入ってゆく老婆たち、場違いなことを理解していないファッションのティーンエイジャー、ビックイシューというためになりそうもない雑誌を売るホームレス、互いの手をつなぐ恋人たち、昼間から様々だ。私はそれらの姿を見守りながら交差点に向かい、コアというビルの書店に立ち寄ろうと通りを渡る。

縦に長く続く晴海通りだと判らなかったが、横につらぬく銀座通りでは広がった空が見られた。まだ四時を回った頃合いだというのに大分暮れの色が濃くなっており、新橋の方角は薄い赤に歪んでいる。そしてその交差する色彩の上を、一面いわし雲が舞っていた。その日の朝私は、いわし雲が見られなくなるのはいつ頃なんだろうな、などと少しセンチメンタルに心泳がせて考えていた。なのに今こうしていわし雲が目の前に広がっている。それは十二月に入る前の、もう冬と言っても言い切れてしまう最近から考えると季節外れってやつなのかもしれない。秋口に頻々と表れるそれにばかり記憶がある私はそんなことをふと思う。しかしこうやって眺める季節外れのいわし雲というものだってずいぶんと味があって、普段は作らない俳句のひとつでも思わず考えてしまい、あーだこーだと悩んでいる。と、まあ頭の中では色々なことに忙しい私は、結局はそれがきれいでみとれていたというだけのことなのだ。
いわし雲は私の頭上にもあって、それらは目で判る速度で京橋の方向へ移動していた。この調子でゆくといわしたちはみなそちら側へながれてしまうのだろうか? 私は空を仰いだまま思った。固まるいわしたちはこの冬のはじまりに寒そうに体を震わせる。
けれども私にはこの空のいわしを、とても頭の中にある詩人の言ったアイディアである「いわし」と同一のものとして考えることは出来なかった。そこまで楽観的には成れなかった。それでもいわしたちを見ていると冷えかたまった心が不思議と晴れてゆくのが、ゆるやかながら判った。

コアに入りエレベーターに乗り、ひょっとしたらあの雲はいわし雲ではなくて羊雲というやつなのかもしれないとふと思った。そういえば同じようなものでうろこ雲というのだってあったではないか。私の頭の中でなにかがはぜる。羊雲とうろこ雲といわし雲の違いを、しかし判らない私にはそれは同じようにも思えたし、同時に全く異質のものにも感じられて少し不安を覚えるのが判った。その糸をたぐってゆくと、やはり私は空というキャンパスを私の頭の中と同一のものとして考えているからのようで、そのことがなあんだという気持ちとともにおかしくもあった。

本屋から出てみるといわし雲は更に歪んだ多角形の夕陽によって切られてしまい、雲もはけを幾度もこすりつけたようなものへと姿を変えていた。私はそれを見て、いわしは食べられてしまったのか知らん、と思った。私の中にいるいわしを追い回す獰猛な魚。私はその存在にこそ気づいているものの、何も出来ずにいた。そうか、空のどこかにいるそいつはついにいわしを食べてしまったのか。私は空から視線を外せない。形を崩してしまったいわし雲が、原形をとどめることなく空を走る。私の中のあの不吉な魚も、こうしていわしたちを襲いだすのだろうか。しかしその問いは言葉本来程の恐ろしさはなく、どこかぼんやりしたなつかしさすら漂うのだった。私がいわしに見ていたものとは何だったのだろう。向きを逆に歩き出す私の目には空の色は闇に近い。そこにあざやかになったいわしたちが白の色彩をきつくして泳いでいる。それに安心して私は歩き出す。目的地の松屋の裏の喫茶店まではもうすぐで、町は速い夜の足音にネオンを輝かせはじめる。

やがていわしたちは遠くなる。
# by mishin-o | 2004-12-08 13:49 | 私小説

硫黄泉

父と歩いた銀座は硫黄泉の匂いがした。薄やみに姿をけぶらせている町は華奢な体を光らせはじめて、不器用でいてあざやかな温度のあるネオンに忙しい。私はそれを眺めながら、この硫黄泉の匂いは何なんだろう、と思う。私たちはそれについては語らず、つれつれと昔父が銀座につとめていた頃のはなしをしながら有楽町へ向かう。きっと有楽町に着いた頃には私たちの体にも、硫黄泉の匂いがしみついているのだろう。それは流れる気の早いクリスマスソングとともに町の照れ隠しに流す不思議な涙のようだった。
「ほら、ごらん、町はいつだって急いでいるんだ」
# by mishin-o | 2004-11-23 13:48 | 私小説

これは文章ではない

書けなくなってしまった。この休暇中(学祭中)に色々といままで温めていた小説などをわーっと書いてしまおうと思っていたのだが、なかなか筆が進まなくなり、そのうちに運筆に疲労を感じるようになった。心はそのため焦燥感に打ちのめされてしまい、せかせかとクリスマス仕立てを一ヶ月も前からする病的にねじのとれかけた町並みのように、ノートに向かう。一時期はそんな気力すら出ずに、軟体動物のようにのびて放心し、黄色く濁った目をしていたのだが、今ならばなんとかちまちまと文を繋ぐことは出来る。しかしそれはあまり質の良くない蕎麦のようで、ぶつぶつと途切れ途切れだ。断片的だ。ことばが並んでいるだけに過ぎなく、もはや文ではない。落ち着きがなくそわそわして、走り出しそうなそれは今の私にどこか似ている。では本を読んで書きたいという意欲を高めようと思って手に取るが、どうにも頭に入ってこない。文字がするするとほどけて滑ってゆき、頭の中には何も残らないままに果ててゆく。つまり、集中出来ないのだ。

昔ある詩人がアイディアの出ない状態のことを「頭の中にいわし一匹いない」と言ったらしい。今の私はこれとはちょっと違う。私の中にいわしはいるのだが、ひとつの不穏で獰猛な影の存在によって彼らはおびやかされている。不吉な魚は大きさも形もはっきりしていなくて、どこにいるかすら曖昧だ。ただそいつはいわしを食べるというよりも、いたぶることに快感を覚えているらしく、執拗に追い回してはいじめている。こんな状態を「頭の中に真綿が詰まっているような」とでもいうのだろうか。故中島らもの小説で「頭の中がカユいんだ」というのがあるけれども、私はそちらに近くて自分ではどうしても取れないかゆさを抱えてもだえている。

状態としてはむしろ対局なのだけれども、どうにも無気力で鬱々と沈んでしまい何をやるにもおっくうになって、空の青さを嘆いている時期があった。そのときも本を読むことも出来ないでいて困り果てていたが、ふと手にした本上まなみのエッセイに目がほろほろするほどに感動した。その後は底辺から浮き上がって今のこのサイトのかたちをつくって再び書きはじめた。現在の私に必要なのはそういったたぐいのものであって、いわゆる研ぎすまされていたり、芸術的であったりする純文学やらなんやらではないのだろう。だからこないだ本屋でふと目にした植草甚一のエッセイ集でも読んでみようか、なんて思っている。

書けないと言いつつも書いているのはかつお(まぐろだったかもしれない)が泳ぐのを止めると死んでしまうのに似ていて、どうしようもない窒息感を覚えるからだ。だから私はこんな酔っぱらいのつぶやきに近いことを綴っている。ひょっとしたら頭の中の姿を怪しく揺らめかせている魚というのは、他でもなく私自身なのかもしれない。私がいわしたちを無理矢理につかまえようとして躍起になっているから、手からぬるぬると滑り逃げてゆくうなぎのごとくそれらは去ってゆくのかもしれない。恋人の自称詩人は、そういうときはことばが降りてくるまで待てばいいんだよ、と教えてくれた。しかし待つということが私にとってきつい以上、いわしの形だけでも書く必要があるだろう。いわしの泳ぎ方、どう感じたか、などは今は問題ではない。この状態から抜け出ればそれは自然と書けるということを私は経験的に知っている。だからそれを信じて、描写だけでもしていこうと思う。

私は手を延ばす。開けた窓から入る朝の冬の空気に、開いたてのひらはわずかにかじかむ。いわし雲が見られなくなったのはいつ頃だろうか、などと考える。私に今出来ることは、それだけだ。
# by mishin-o | 2004-11-23 13:48 | 私小説

神渡り

着いたのは夜中、山奥だった。私の頭上を雲が吊り橋を下から見たような形を作り走っている。神渡りはもうはじまったのだろうか。私はそう思って上を見る。もう小さくなった人型の白い影がまっすぐにきれいな直線を残して歩いている。私はそれを追うように走る。神渡りはまだ途中だ。山神の速度はゆっくりで、走る私に気づくこともなく、いや、気にすることもなく進んでいる。山神の先には寺のコマイヌのように一対の猛々しい姿のぐるぐるとした炎がある。まるでそこが終点とでも言うように、吸い寄せられるように山神はそこへ向かう。夜中この地方で見られると言われる山神の夜行。神渡り。前々から見たというひとは後を絶たず、民俗学を志す私もこうしてきてみた訳だが運良く見られた。神の足音が途端耳を打つ。わらを踏むような、それでいて材木の張りつめるようなみしりみしりという夜の緊張感に震える音だ。神渡りがもうすぐ終わってしまう。神渡りには時間が決まっていて、それに間に合わないと山神は空から落下してしまうのだと聞く。そうしたらどうなるのだろう? そもそも伝承では神渡りを見るとどうなることになっていたのだろうか? 私は思い出そうとしたがそれはなかなかにはっきりとしない。そうこうしているうちに足音は徐々に大きくなる。山神はしかし慣れているとでも言いたげなゆっくりとしたペースを崩すことなくゆうゆうと歩いている。私の足が速まる。同時に心の中で早鐘が割れるように残響する。
空が割れた。神渡りは失敗だった。白い影は真っ逆さまになり降下して分裂する。空中で拡散してばらばらになったそれが近づいた私のてのひらにも落ちる。つやつやしてさくら貝を思わせるそれに私はじっと見ていた。そのうちに私の手の内の神のかけらから小さな光がスジになって溢れて空に向かって行く。それにあわせるように私は視線をあげる。山はもう白々明けだ。
# by mishin-o | 2004-11-22 13:47 | 幻想/夢

ソナチネ

夢の中でクラスメイトの小野沢さんと二人きりで話をしていた。
「ポラリスのコスモスっていうアルバム聴いた?」と私が聴くと、小野沢さんは軽く首を横に振ってから
「ううん、まだ。今度貸してよ」と言った。横顔がどこかアヒルとかカモとかの水鳥を思わせて、素直に可愛いと思った。

川縁だった。私たちは脇にバスの走る、だだっ広い一本道を左手の川を見ながらまっすぐに歩いていた。そこがT川で、その先には大学の図書館があることが薄ぼんやりと、夢特有の不可思議で曖昧な領界で判っていた。私と小野沢さんはスガシカオのCDを借りに図書館へ一緒に向かっているのだった。図書館の地下にはそういったメディア関連のものが大量にそろっており、アルバム未収録のシングル曲も置いてある、という話を私たちは聞いたのだ。それからスパングルコールリリライン。私たちはそれを求めて、すっかりくれてしまった川原道を歩いていた。けれどもいくら歩いても図書館は近づかない。世界は止まってしまったかのようで、風景すら変わらない。ずっとずっと、どこまでも同じ一本道がだらだらと続くだけだ。
「寒いねー」と言って小野沢さんが着込んだピーコートから缶コーヒーを出して、私に手渡した。てのひらにじんわりと生きた温かさが残った。それが奇妙に懐かしかった。私はそのセンチメンタルにすこしだけ背骨を痺れさせるような刺激を受けて、ぼんやりそれがどこからきたものなのかを考えていた。
「今度ね、阿川ちゃんと一緒に車で遠野に行くんだ」
「へぇ、車じゃないと移動が不便だからね。でもなんで遠野なの?」
「判らない。阿川ちゃんが遠野に行きたーいって言うから学祭の期間に一緒に行こうと思って」
「遠野物語とか読んだ?」
「読んでないんだよねー、それ。阿川ちゃんにも読めって言われたんだけれどね、面白いの?」
「んー、読みにくいけれど岩波文庫のだと入ってるもう一個の論文『山の人生』っていうのは普通に面白かった」
「そうなんだ」
車のヘッドライトが時折辺りの闇を鋭利な刃物でびりびりと引き裂くように通り過ぎる。しかし闇はすぐに修繕され、あとにはなにも残らない。ただ黒いままだ。脇の街灯がか細い光を照らしているだけなのに、小野沢さんの横顔は不思議とくっきりと見えた。まるで月の中にいるようだ、と思った。時計を見るとまだ五時を少し回ったばかりである。それなのに黒の粒子が昼の残像となり、いつまでも飛び続けている。
「暗くなったねえ」
「ねえ、日が落ちるのも早いねえ」
「もう冬だねえ」
私は頷いた。本当に、もう冬だ。

そこで目が覚めた。起きてからも暫く私の頭から小野沢さんのイメージは離れなかった。しかし夢と現実は色々な矛盾があった。スガシカオのアルバム未収録シングルなんて多分ないし、図書館だってキャンパス内にあるだけだ。それにCDを貸すなんてことは行っていない。別にそういったことにおいてだけではない。例えば小野沢さんはポラリスやリリラインを聴くような子ではない、とか探せばあらはいくらだって見えて来る。けれどもいちばん大きいのは、私は実際小野沢さんを恐れているということだろう。私は小野沢さんの持つどことないはりつめた緊張と、大人と子供の中間の怒りに満ちた威厳のようなものに対して、ある種の恐怖すら覚えている。つまり私は小野沢さんが苦手なのだ。だから夢の中のように、あんなに対等にはなせる訳がない。私はきっともっとぎこちない喋り方になるし、言葉遣いも自然と丁寧語になってしまうだろう。小野沢さんの方だって、クラスで人権が半分くらい剥奪されている私である、軽く見下したようなぞんざいな口調になるだろう。そこと夢との差が、私の願望を表しているのかどうか判らないけれども、ふしぎとおかしくて、同時にそこはかとなくつめたいさみしさが体をきいんとつきぬけていった。

その日はは小野沢さんと同じ授業があった。クラスメイトと言えども親しい訳ではないし、席も離れているので話すこともないが、夢のせいもあってか私には小野沢さんの視線がどこか痛かった。私の心をちくちくと優しく触れるような、そんな具合に甘くくすぐったくもつつくのだった。私は授業中時折小野沢さんと視線を偶然に合わせては、露骨とも言えるそらし方をした。きっと相手としても気分を悪くしたのじゃないかと思うけれども、私には弁解なんて出来ない。

授業が終わって外に出ると、ファーのコート越しに寒さがきりきりと体を、ねじを巻くように縛り付けてきて、そういえば今日は寒いのだったと思い出した。こんなに寒いからわざわざファーのコートなんて出してきたのだ。五時にもならないというのに外は暗い。夢の中の「もう冬だね」という台詞がよみがえった。そう言う言葉を言ってくれるひとが私の周りにはいない。それは仕方のないことなのだろう。だけれども、もしもそれが小野沢さんだったら。私はそう思ったもののその馬鹿馬鹿しい妄想を、くだらなさとてれくささですぐに打ち消した。

家に帰ると誰もいなくて、ただいまあという言葉が冷えきった床にことりと落ちた。私はそれを蹴飛ばして台所へ行き、なんとなくのため息を吐きながら鞄を置いた。家の中といえども冷えているので私はコートを脱げずにいる。喉が渇いたと思ってウィルキンソンのジンジャエールを冷蔵庫から出して、飲んだ。喉をジンジャーのきつく鋭い感触が走り抜ける。こんなものを飲んだら余計に寒くなるじゃないか、ばかだなあ。痺れた舌をひりひりさせてそう思った。それからまた夢を、反射的に思い出す。今日一日私はこの夢を思い返してばかりいる。気がつくと、こんなものを飲んだら、という台詞を小野沢さんの声で反芻していた。ひょっとしたらこれは恋かもしれない、というこのばかげた考えを、私は首をもたげる前に切ってしまい、もう冬だねえ、ともう一度やや深いため息をついた。
# by mishin-o | 2004-11-21 13:46 | 私小説

お引っ越し

最後にスズちゃんにあいに行ったのはいつだったのか、私はそれすらも忘れてしまっている。スズちゃんの本名は平林スズといって、古本屋にいる猫のことだ。いつもどこかねむそうで、それでいてなごむほんわかとした気配を持っており、人懐っこそうだけれども確実に一線を画すところをもっている、という実によくできた猫であって私はスズちゃんが好きなのだ。私は週に一度は買ったり売ったりということもないくせに、この古本屋に行きスズちゃんにあっていた。スズちゃんは毎回違うところにいて、売り物の本の上でちょこんと座って往来を走るバスや人を見ていることもあれば、カウンターの座布団の上に座っていたりすることもあった。私は本を物色する振りをしてスズちゃんを見ていた。この本屋は特に本の出入りが活発な訳ではない。唯一ポルノ雑誌はしょっちゅう変わっているようだが、私が求めている五十円とか百円とかの叩き売りの値がついた文学書はあまり増えないのだ。
内田百間の本を買ったのもこの店だった。魯迅の本を買ったのもこの店だった。色川武大の本を買ったのも、辻潤の本を買ったのも、中原中也の詩集を買ったのも、やっぱりこの店で、そのときだってスズちゃんは座って私を見ていた。中原中也の詩集を買った日、私はカメラを持っていて、猫を撮らしてくださいと頼むと店主は、こんなこでよかったら、と頭を撫でながら皺の深い顔で笑った。何歳なんですか、と聞くとまだ三歳なのだという。そうすると私がこの町にきてこの本屋の存在に気づいた頃にはまだいなかったことになる。結構最近なんだなあ、三歳というのは。そう思って私はスズちゃんを撮った。その写真が上のものである。
さんちまんたるから最後に行ってみようと思って私は引っ越す何日か前、荷物の整理で忙しい中抜け出してスズちゃんに会いに行った。スズちゃんはカウンターの座布団の上で細い眼をして私を見ていた。私は折口信夫の本を持ってゆきお金を払った。そうしてスズちゃんに、引っ越しをするから暫くは会えないんだ、というまなざしをしてみせた。スズちゃんは、がんばんな、というような顔で私を見ていた。
帰り道私は、汚れつちまつた悲しみは、汚れつちまつた悲しみは、などと唱えながらすっかり寒くなった秋の空の下をてろてろ歩いた。
# by mishin-o | 2004-11-17 13:45 | 私小説

既視列車

乗り換えた電車で見た広告はさっきまで乗っていた車内で目にしたものと同じだった。だからなのか、それともほかの因子があったのか、私は軽い既視感を覚えた。それが今まで見ていたものから来ているのか、それとも夢かなにかで見たいわゆるデジャウ゛ュなのかははっきりとしなかった。電車はピアノの高い単音を刻むように走ってゆく。高音は反射して部屋の真ん中に集まり沈んでゆく。私はそれを広い集める。そうして席で丸くなり足下を見る。どことなくうつろうモノウゲな気分は、降っている雨のせいだろうか。既視感が膨張する。私の頭の中でふくれだしたそれは徐々に現実との区別をなくしはじめる。記憶がうつつを食べ始める瞬間というのがそれなのだろうか。私は記憶が現実となり、現実が記憶となる境の中でばりばりとこだまする音をうつらうつらと聞いていた。
電車の中が、外が、輪郭を曖昧にする。とけて、こわれて、まざって、ひとつに・・・。私はーー。
電車は川を渡り終える。私の新しい記憶が、既視感を伴い走り出す。
# by mishin-o | 2004-11-11 13:45 | 私小説

いちょう並木をコート着て

秋というだけで一年のうち半分以上が過ぎたことを示していてただでさえかなしくもはかなくうつろうなみだにほろほろの気分なのに、もう十一月だと言うとこれにはやはり茫然としたものを感じて空なり落ち葉なりを見るしかないけれども、現実はそんなことばかりさせてくれない。というのも私を含む文学部生は二年生からキャンパスが変わり専攻にわけられ、その学科ガイダンスが始まり、決定というものをちらつかされるのがこの十一月なのである。

「僕は文学と心理学のどちらかがやりたくて文学部に来たんです。でもやっているうちに哲学も面白いし、民俗学も興味深いなって思いはじめたんです。学ぶって言うことはお金が掛かるし、意味がないし、どうでもいいけれども楽しいことなんだって思いはじめたんです。でも専攻、そうなると僕は正直言ってまだ専攻に別れてまで勉強するようなことが見つかっていないって言うのが現状なんです」

いちょう並木の葉が色を変えはじめた。上の方からちょっとずつ黄色く染まってゆくそれは、香り高まる秋の空気を吸ってもっと色めいてゆくのだろう。私は駅まで延びたその道の真ん中を歩く。しかし警備員とかたまにくる車などではばまれて、すぐに私は脇へどく。脇から見るいちょうはまだまだだ。色の違いなんて判らない。それが頭上にすくっと立っている。いちょうの色彩で思い出すことは色々にある。でも思い出によいものなんてあまりない。そういうものはとうに捨ててしまっている。私はただそういうものを持たない生き方をしているのかもしれない。

「最初は今の趣味に走って哲学をって思いました。でも哲学だと論理家が行くところな訳で非論理家である僕には向かないなって思ったんです。僕は主義も主張も持たずに生きて行きたいのです。それに後期の芥川が好きな僕はショウペンハウエル系に影響を受けてもしかしたら主義を持たないなんて言う暇もなく自殺を正当化するかもしれません。そんな気がしたのです。だから他のをと思い、前々から好きだった文学を考えました。勿論国文です。でも調べてみると国文って日本語文法、古文、漢文が必修なんですよね。この三つが嫌いなために国語の成績が良くなくて、さらには教師になろうと思っていない僕にとって向いていない気がしました。では心理か外文かってところで僕が見たのは”比較文学”っていう文字でした。それは国事の文学の特徴を比べるというものでした。へー面白そうだなあと思って更に見てゆくと”比較心理学”というものもありました。これはきっとあれだ、個人差や国ごとの性格やらなんやらをくらべるものなのだろう。僕はそう思いました」

今年の秋は雨ばかりだ。秋ごと雨に鳴って体を溶かして流れているようだ。涙のようなその雨ならば私はそれを体に受けよう。雨ばかりと嘆かずに、この雨を受け入れて、秋という季節の新しい見方を見いだそう。そこにあるのは秋だけれどもそれは去年とは違う秋だ。きっとそれは心の面でも季節としても違うものなのだろう。私にとってここ二年間、秋は絶望の季節だった。秋になると決まったように私に絶望がやってきた。そしていまは私は軽い虚脱感と死の軽度の憧憬を感じながら、しかしなんとなくぼんやりゆったりこっちのほうが居心地がいいからという理由で生きている。秋、いや、もう私は秋の話をやめよう。私の前にあるのはあくまで私でしかなくて、季節なんてものは、私たちがうつろう葉の色の時期を勝手に呼んでいるだけに過ぎない。

「僕は心理学に行きたいと思いはじめました。でも心理学に入れるのは二十人あまりと大変少ないのです。そこには過酷な競争が待っている。それを通るためにはきっと文学をある程度のところで割り切って諦めなければならないのでしょう。あるひ僕がじっくりと考えてみると、一日のうちの半分以上の時間はものを書いたり、読んだり、考えたり、といった創作、つまり文学に関与していることをしていたのです。生きている時間のうちの半分以上は本屋ら小説やらに吸い取られている僕にとって、つまりほとんどがフィクションで出来ているライフなのです。それを急に止めろと言われてもそれはきっと難しいことでしょう。僕は悩みました」

私の前にあるのはやはり俄然とした積み重なったもんだいでそれをほどかねばならないのは結局私自身なのだ。私は私のやり方で語る。それが時に饒舌であろうと、寡黙であろうと、私はそれを気にしない。オーケー、つまりこれは「私」という物語だ。

「しかし調べているうちに僕はひとつのことに気がついたのです。”比較心理学”というのはひととひとを比べるのではなく、ヒトと鼠とかウサギといった動物で比べるものなのだ、と。僕は急に熱が冷めてゆくのを感じました。同時におかしくも愚かで面白くもかなしい気分であることに気づきました。ついつい笑ってしまうようなミスをした自分が不思議と愛せました。前に僕はR先生に、小沢君はもっと自分を大切にしなさい、といわれました。今では何となくその意味が分かる気がします。これで僕の話は終わります。蛇足ですが、専攻は独文学科になりそうです」
# by mishin-o | 2004-11-04 13:43 | 私小説

やもり

本棚を埋める本が溢れてきた。私の部屋は改築で広くなったとはいえ、狭いことに変わりはなく本棚はひとつしか置けない。それなので再読しそうな本だけを並べ、それ以外は段ボールにつめて別室に入れている。私は本の選別を始める。もう外は群青色に塗りつぶされており、蛍光灯でもつけないことには作業も難しい。昭和歌謡風なCDを掛けて背表紙をうーむと眺めてみるが、今までの何度かの撤去作業に勝ち抜いてきた本たちなのでなかなかに除去しがたい。というよりも、題名を見ていると却ってまた読んでみようかという気になる。一冊抜き取って本を開く。そこにある文章からなんとなくののすたるぢいに、読んでいた当時のことを思おうとしたのだ。本からふわりふわりと黒い煙が出てきた。ページをめくるとふわりふわりと黒い煙が出てきた。なんだなんだと思って、黒の行く先を見ていると、壁まで流れてかたまり、やがて壁紙の上に黒いトカゲの影ができた。指先の形と大きさから察するにやもりだろう。私の目の前でやもりはするすると上へと上ってゆき、やがて消えてしまった。私はそれを見送ってから、再び本をどうしようかと本棚に向き直った。
# by mishin-o | 2004-10-24 13:43 | 幻想/夢

耳を食べる

雨だからその日のことを思い出す。でもその日は台風だった訳じゃない。こんな音を立ててばらばらと降っていた訳じゃない。もっとさやさやと、糸に近く降っていて、頭から肩にかけて鋭い痛みが時折刺したことを覚えている。私はナカムラに連れられて自由が丘をふらふらしていた。楽しいことないねー、ないねー、なんて言い合って入ったのはヴィレッジヴァンガードだった。そこは数カ月前に共通の友人であるKが、お前らの好きそうな本屋がある、と言い教えてくれたものだった。私たち好みってどういうことだよ、と聞くと小沢の好きな安部公房とか太宰とか足穂の本がほとんど全部そろっているんだよ、と言う。それはたしかに私たち好みだ。それから私たちは学校帰りに、雑貨の甘ったるい香りのする店の中を、魚のような目をして泳ぐように寄るようになった。そして今日も、である。しかしヴィレッジもそう毎回毎回品をかえている訳ではない。そこにあるものはだいたいが昨日も同じ場所にあったもので、流れているミュージックだってもう大分前から耳にこすれているものなのだ。幾分味気のなさを感じつつも、私たちは使う当てもない雑貨を、読みそうにない外国の小説を物色していた。そうやってゆくうちに私たちはキワモノ食品の前にいた。たしか当時の私たちの間では暴君ハバネロの辛さなんてまだ甘いと言われ、世界一といわれるデスレインが流行っていた。しかし私もナカムラもそれらの辛さには既に飽きを感じており、辛いだけじゃ能がないから他に何かないものかなあ、などと言っていた。そんな状態でキワモノ食品の前、である。
「このイカチョコってどうよ?」
「タラちゃん、この味どうかしら、って感じのものが沢山あるなあ」
「これはもはやドラえもんの道具の世界だ」
そんなことをいいながらネタと味の二つの輪の中におさまるものを探していた。ミミガーチップスを見つけたのはそんなときだった。ミミガーというものがあるというのは、私たちも聞いてはいたが実際に見たことはなかった。豚の耳をそのまま料理したとされるミミガー。そこには一種のゲテモノ感がありつつも、沖縄の悲愴の歴史が練り込まれているのではないか? そんな理屈よりも前に耳である。豚の、耳である。食べてみたいではないか! 普段食べないで捨てるところだ、ぜひとも食べてみたいではないか! 私たちはそんなことを言い合っていた。恐らく私たちは胸の内に中途半端な憂鬱を抱えていて、それがこういう新しいことで拭えるような、そんな気がしていたのだろう。あの頃の私たちは、やたらと笑いながらもどこか心がふらふらしていて、顎を痛めながら本当に笑ったのか判らない、そんな日々を過ごしていた。
私たちが求めていたのは、意外な旨さだったのか、あーやっぱりというネタとしての不味さだったのか、今となっては判らない。ただ金を出し合い買ったミミガーチップスは固い上に異常に辛く、私たちはすぐにお茶を買い口を潤した。ナカムラは二口程つまんでそれ以上はいらぬという表情でおり、私は家に帰ってから食べる、としまい大井町線の車両の中で、またばかなことを饒舌に話しはじめた。
あの日が秋だったのか冬だったのかも覚えていないが、ちょうど今日のように頭痛がしたこと、やっぱり雨が降っていたこと、それにミミガーチップスの辛さ、それらはいまでもちゃんと覚えている。
# by mishin-o | 2004-10-21 13:42 | 私小説

きんもくせい

きんもくせいの香りがもうするんですよ、少しずつさきはじめましたからね、外は秋の香りでいっぱいなんです。そういわれて外に出ると、薄闇の中で橙にちらちらと咲く花が見えた。同時に鼻をなつかしくて甘く、どことないきつさをもった匂いがついた。小降りになったもののやまない雨が、上を向くと途切れることなく落ちて来る。音もなく、感触とか、気配だけを残してアスファルトにつぶれる。雨の匂いは、しない。私はぼんやりと傘を畳んで空を仰ぐ。このくらいの雨量ならば却って心地よいくらいだろうと思い、そのまま歩く。これに似た夕暮れを私は覚えている。それはたしか、やっぱり今くらいの何年か前のことで、私は静かな流れの中でじっとしていた。今もそれとおおよそのところ変わらないが、でもどこか、根本的なところで変化しているような気がする。そう思うとこの肌寒さも、香る深い秋も、しっとりとした空気も、なんだか居心地のよさを感じる。角を曲がり、ちらと今歩いてきた道を見る。家のひとがちょうど門に入るところで、私と目が合う。私が頭を軽く下げると、その人もつられるように傘ごと深く垂れるように、お辞儀をした。
# by mishin-o | 2004-10-19 13:41 | 私小説

フランツ・カフカ

喫茶店で隣に座った人をぼんやりと見ていた。それは別にその人に惹かれたというわけではない。茫洋としたむなしさと暇のなかで、なんとなく気になった、というだけだ。その人は「カフカ」と書かれたポイントカードのようなものを見て、電話をかけはじめた。私はさっき買ったCDの封を明けながらそれを聞いていた。女は、今日はお願い出来ますか、とどこか切実な気配を見せる低い声で尋ねたが、無理だったらしい。すぐに力のない息を吐いて、では明日は、と尚も聞いた。それからは話に合わせるように頷きばかりをみせるようになり、何を話しているか判らなかった。私としてもそれ以上に興味はなく、むしろこの買ったばかりのCDを聴きたい、という気の方が強く、ヘッドフォンをした。
それから暫く音楽を聴きながら本を読んでいた。本の中では夢とか火事とか雷などの話が格調高く、しかしユーモラスに綴られていた。一区切りついたところで顔を上げると、もう女はそこにおらず別の三人組がテーブルにおり、談笑していた。私はあのカフカというのは何だったのだろう、とぽつりと思った。しかしそんなもの、いくら考えても判るはずがないのであきらめて、また本を開いた。
帰り道、私は看板に注意して歩いた。そこにカフカの文字を探していたのだ。私は町の路地裏をでたらめに歩きカフカを探す。大通りから少し入った入り組んだ路地は、野良猫がハミングして、赤いクレヨンが不気味な線を描き、カラスの羽根が売られている。私はその間をゆあーんゆよーんと残響する中原中也の詩に合わせて、漂うように動いていた。しかしカフカはいっこうに見つからず、気づいたら町の果てにいた。無駄だよ、やめておきな、というように頭上の蛍光灯がじりじりと鳴る。私はやれやれとたばこを吸い、空を見上げる。先ほどはまだ青がくすんだ色彩だったのに、もう黒が視界をぼかしはじめている。私はカフカというところで今もなにかをしているひとを思った。しかし私の想像では、それはどうしても少し怪しげな気配のつきまとうものになってしまった。今日はここ最近にしてはめずらしく暑い。そのせいか若干汗をかいた。私は額を拭う。斜陽の残骸と灯りだしたネオンで、長く延びた影がスローモーションで同じ動きをする。そのとき私は、ひょっとしたらカフカというところでは、影の売買を行っているのではないかしらん、と妙な程の確信を持って思った。
# by mishin-o | 2004-10-17 13:40 | 私小説

境界

飛行機の音がした。私は耳を両手で塞ぎ、目をつむる。それだけでぼやけた曖昧な闇の中に入れた。飛行機は遠のいており、音の勢いは急速に弱まる。それは次第に飛行機のそれから蝿程度のものとなる。私は無音になるのを待って、目を開ける。濃い青の上に、白く長い飛行機雲が出来ている。それが世界に引かれた境界線のようにして存在している。ちょうどそのラインの辺りを指で確認する。この屋上ならば、きっと境はここだろう。私は視界に境界を描いて、それを踏み超える。自分の足音だけが聞こえて、その後に風が吹いた。境界に踏み入った私を責めるような気配があった。これは一体何の境界なのだろうか。私はわずかに考えた。いろいろな思いがわいては消えたが、結局何も残らずはっきりしなかった。
風が加速する。秋風がやわらかい空気をかき乱す。私の影が境界線を超している。やや長く延びたもうひとりの私は、半身以上をラインの向こうに預けている。私は影もラインを超えぬように後ずさる。鉄製の柵に背がつく程まで下がって、はじめて頭がこちらがわへ来た。私は上を見るけれども、そこにはもうさっきの飛行機雲はない。空を仰いだままでたらめに歩き回って、目をつむり、風を体に受ける。包まれてさやさやと溶ける私は、今境界を越えたのだろうか。目を開ける私にはしかしもう、境界のラインがどこだったかなどは覚えていない。
# by mishin-o | 2004-10-12 13:39 | 私小説

月はどっちだ!

 この前書いた小説で「月の表面は金魚で埋まっているから人間は裏にしか行けないんだ」という台詞がありまして、それを見たある人が
「小沢さあ、月って自転して回ってる訳だから裏とか表とか関係ないじゃん」と言いました。確かに考えてみればそのような気がしてきたので、私は姑息に微笑み、おおそうだったそうだった、と
「わーこれは今中学入試とか受けたら落ちるなあ」なんて言っていました。
「いや、中学入試って言うとちょっとセレブってイメージがあるけれどこれは常識だよ、ジョーシキ」
「大体私は文学部なんだからそんな理科のことなんて知らないんだよー」
「でも小沢天文好きじゃん」 そう言われてしまうと私もいよいよことばにつまり「あうー」と言ってのびるより他はないのです。私は頬袋に食べ物を詰め込んだまま消化の仕方を忘れたリスのようになりました。
 それからまた別の人に見てもらって、同じようなことを言われるだろうと思ってあらかじめ
「いやー、実はこの辺り月の自転とかそういうこと考えていないから、あくまでロマンチックに、ロマンチックに、な?」 しかしその人の言うことは私の予想を覆し
「え、月って裏側は見えないんじゃないの?」
「あれ、そうだっけ?」
「ほら、小沢の好きなピンクフロイドの狂気っていうアルバムは、ダークサイドオブムーンっていうのが正式名称だろ。だから地球からは見えない部分があるんだよ」
「じゃあ公転とか自転は?」
「や、その辺は判らない」
「ふぐー」
 もはや一体どれが本当でどれが間違っているのかが判りません。でもこんな嘘が本当に見えたり、そうなったりということが起こりうるのが私は好きだったりします。できればそういうつたない曖昧さの中にいたいと思います。
「でも一体どれが正しいんだろうねえ」なんてへらへらいいながらも、私は自分が要は莫迦なんじゃないの、という気がして、迷わざるを得ない物事の中でそれだけが確固たる命題のように思われました。
# by mishin-o | 2004-10-11 13:38 | 私小説

ナオコの複数形について

 私は文学部生なのだけれども、文学部には英語が二時間あり、一つはクラス指定でもう一方は選択できる。選べるといってもあまりおもしろそうなものはないのだが、結局第一希望を「ナボコフの亡命者の文学を読む」というのにした。亡命者というところよりも、ナボコフがロリータの作者であるといったことのほうが、選択の要因としては大きい。まだ私の周りには数人の友人や話す人がいて、その人たちにそのことを告げると口を尖らせて、そんな授業をとりたいやつなんて少ないに決まっているだろうからまあ当選は堅いな、と半分馬鹿にして、半分からかって、といった救いようのない待遇を受けた。そのうちに私としても、確かにそんなのとる人は少ないだろうな、とか考えていたのだけれども、落ちた。一体何が起こったのかよくわからないのが現状なのだけれども、ナボコフの授業をやりたい人が多かったらしく、私は第三希望のスピーキングの授業となった。スピーキングっていうからには英会話であり、外国人を相手に極力日本語を使わずにレッツスピークイングリッシュやで、いえい! という授業であろう。ただでさえ人間とコミュニケーションをとることが下手なのに、それを英語を通じてなんて無理です、と言いたいところだけれども文学部は英語をひとつでも落とすと留年という恐ろしいオチが待っているので、出るしかない。これからは英語がいかに必要かを頭の中で何度も復唱して自分を騙し、自分を騙している自分も更に騙し、私は授業に出た。
 先生はまずファーストネームで一人一人を呼んでゆき、私たちはそれにイエスで応えた。そのうちにナオコと先生が呼んだ。そのとき二つの声が重なってイエスと言った。先生は、オーゼアラートゥーナオコーズと言い、私たちはまだ解けていない四月の緊張の中で、わずかな笑いをため息みたいに漏らした。ナオコの複数形ってナオコーズなんだな、とかどうでもいいことを私はそのとき考えて、自分の呼ばれるのに備えていた。
 それから次の授業で先生はやっぱりファーストネームで呼ぶものの、ナオコを呼ぶときはナオコタチと外人特有のイントネーションで言うのだった。つまり「ナオコ達」と末尾だけ日本語で複数形にしているのだ。しかしその割には結構真面目な顔で言っていたのだが、私はこの人はユーモアとかそういったことがすきなひとなのかな、としか思っていなかった。
 また、ひとつ奇異な点があって、それはナオコが一人しかいないのか、ナオコ達と呼ばれてもイエスはひとつしか聞こえないのだ。私は授業に来なくなったもう一人のナオコについて思いを馳せた。クラスメイトの顔すら覚えられない私には、そのナオコがどのようなひとなのかなどは判るはずがなかった。このクラスに来ていて、しかしもう来なくなったナオコ。私は名前が呼ばれる中で窓の外を眺め、そのナオコが実はすぐそばにいるんじゃないかな、と思った。案外外の図書館の前辺りで笑っていたり、駅の裏側の商店街を友だちと歩いていたり、そんな日常の中にいるんじゃないか。私はぼんやり考えて、自分の呼ばれるのを待っていた。
 そうやって日々が過ぎて、私たちはよくわからない本で作業をやって、春が散って夏になった。そしてある日、グループで課題をやらねばならなくなり、私は席の近かった子と組んだ。その子の教科書をちらとみると、まるっこい字でTachi Naokoと書かれていた。私は先生の言っていた「ナオコタチ」というのはようはフルネームであって、ナオコ達ではないのだな、とそのときになって初めて判った。ではもうひとりのナオコはどうしているのだろうか。私がいままで思っていたことは訳の分からないセンチメンタルでもノスタルジアでも憧憬でもなければ、ただ私が莫迦であったというだけなのだろう。そう思いつつもこれはなかなかにおかしくて、私はひとり口元が緩むのをこらえて黙って平静としていた。
 いまこうして夏休みが終わって秋学期がはじまったけれども私はもうひとりのナオコどころか、タチナオコの顔すらも覚えていない。そんなことを喫茶店で中原中也の詩を読み思った自分に、つまりそれはなんなんだ、と私は言いたい。
# by mishin-o | 2004-10-07 13:37 | 私小説

きっと、そうじゃなくて

 まだ夏休みが始まって間もない頃にサークルの納会があった。部員の一部でそれでも五十人くらいが集まり、渋谷のライオンへとぞろぞろ向かった。それは実際かなり場違いな空気を放っていて、仕事帰りのサラリーマンや、不平不満を言い合うおばさんたちの中で私たちの持つ色彩というのはモラトリアムの青いねじれたものだった。そこにはどこか社会の歯車として働いていないものの引け目なんてものを露骨に感じてしまうくらいだったのだけれども、それも最初の数分で、ヱビス黒生を立て続けに三杯くらい飲むともはやどうでもよくなった。だから店員の野犬でも見るような顔つきというのは記憶しているのだが、それに対して行動を改めようとかは思わなかった。そうやってビールやつまみが運ばれて、私たちは大いに酔った。
 私の通う大学は二年または三年からキャンパスが変わるので、部員の中にはなかなか会わない人や、今回が初対面という人だっている。で、澄川さんは後者の方だった。他にも幾人か初対面の人はいて、酔った勢いも手伝い少しは会話を交わしたものの、澄川さんだけは例外で、そんな人がいるということすら私は知らなかった。
 二時間が過ぎて店を出ると、私を含む幾人かの一年生が先輩に、タイ風ラーメンを食べにいこう、と誘われた。タイ風ラーメンというのが一体何をさすものなのか私には判らなかったのだが、まあそれもいいと思って黙ってついてゆき、渋谷のピンク色に染まった店の間を抜けて、小さな独特の匂いを発するタイ料理屋へと入った。先輩に倣ってトムヤンクンラーメンというのを注文した。特有の味が強くて、思わずうーむとうなってしまうそれはもはやトムヤンクンなのだかラーメンなのだか判らなかった。というかもうどちらでもない。そういえば大学の入学手続きを終えてラーメン二郎(それも一番強烈とされている本店)に行ったときも同じように、これはラーメンなのか、と迷ったことを思い出した。啜ったスープの油に、焼夷弾のように爆発的に入れられたキャベツに、きしめんとかそばを超えてもはや寄生虫のような麺に、これは既にラーメンと呼べるものを超えて、新しい食べ物になっているのだな、とか考えていた。そのときのことを思い乍ら複雑なスープを啜っていると、ケータイが鳴った。出ると同学年の女の子が
「小沢君地学取ってるでしょ、澄川さんって言う三年生の先輩がやっぱり取っているんだけれども授業出てなくてレポートの規定なんかが判らないんだって。それ落とすと留年するらしいから教えて、ってさ」と言う。私は、澄川さんって誰だと思い乍ら香菜の匂いがする口を、やっぱり独特な味のするお茶で潤して、渋谷駅へ向かった。
 澄川さんはいかにもロックをやってます、といった風貌だった。黒だか茶色だか、手入れをしているのか面倒なのでそのままにしているのか判断のつかない髪の毛は先ほどのトムヤンクンラーメンを思い起こさせた。この三十度を超える日が続く中で花柄の長袖を纏い、やたらと破れたジーンズを着こなしている。私は澄川さんに、帰ったらレポートについて書いてある教授のサイトのURLをメールすると言い、アドレスを聞いた。考えてみればいくら事務的なものとはいえ、こうして先輩にメールするのははじめてだったので、私はすこしどぎまぎしながら打った。
 澄川さんからの返信には一言
「ファンキーな夏休みにしようぜ」と書いてあった。
 あれから二ヶ月くらいが経とうとして、蝉も鳴かなくなり、夏休みも終わろうとしている。私がファンキーな夏休みを送れたかと言えばそんなことはない。小説ばかりを書いているといった感じであった。ファンキーというよりもきっとクラシックとかレトロなのだろう。というか私は澄川さんの言うファンキーの意味が分からない。レポートの提出期限が近づく今、私はまだ一行も書いておらず、でも澄川さんも書いていないんじゃないのか、と思うのだ。そして澄川さんもファンキーな夏休みを送れたかといえば、それもまた違うんじゃないか、と不思議な程の確信を持って思うのだ。
# by mishin-o | 2004-10-04 13:36 | 私小説

星列車

東銀座で昇降口を下りるとごおごおと強い音がする。電車が来たのだな、と思い自然早足になる。階段を下りきってやっと視界が開けたところで私が見たのはホームを去ってゆく電車だった。そうか、もう行ってしまったのか、と途端にゆっくりと消沈して改札を通るがどうもおかしい。電車が今行ったばかりというのに待つ人の数が多いのだ。それに先の改札を抜ける人の姿も、よくよく考えれば見ていない。一体今私が見た電車は何だったのだろうか? そう思って、しかしそれは答えのでないたぐいの問題なのだろう、と諦めて待ち人の列に加わってぼんやりとしていた。電車があと二分足らずで来ることを頭上の電光掲示板が示している。しかしこの地下鉄でこの時間だと最低でも七分の間隔があるはずだ。不思議に思ってそれを意図せず凝視していると
「星列車ですよ」と声がした。声の飛んできた方向を向くと、私の前に立つ会社員がつまらなそうな顔でこちらを見ている。
「星列車、たまに地下の通路も通るらしいです。今じゃ空もああだからね」
「確かにいろいろと増えてしまいましたからね」私も頷き応える。星列車というものが存在する、とは聞いていたが、見たのは初めてだ。私の記憶では、それはかなしみにうちひしがれたひとびとを乗せて、遠く遠くの輝く星まで運んでゆくもののはずだ。
「それで・・・乗っていった人はいるんですか?」私の問いに彼はどこか厳かな頷きをひとつした。 「一人、制服を着ていたから学生ですかね、女の子が乗ってしまいましたよ」
私はその女の子のこの先を考えた。現実から遠のくために乗った星列車で行く先はかなしみのないところなのか? もう戻ってこられないのか? 星列車の乗客はどのくらいなのだろう。このご時世だから満員なのだろうか。でも、かなしみのないところなんて本当にあるのだろうか。
私はもし自分の前に星列車が着いたらどうするのだろうかを考えた。乗り込み星を目指すか、それとも乗らずに生活を選ぶか。それはどうしても答えが出なかったものの、果てにある星はきっと冷たいんだろうな、ということだけはぼんやりと判った気がした。
# by mishin-o | 2004-10-01 13:35 | 幻想/夢